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とりあえず

 投稿者:batu  投稿日:2008年 8月28日(木)21時11分27秒
  とにもかくにも、一言、言っておかねば。

「ポニョ」はすごい、と。

酷評がナゾだ。
 
 

浜田省吾 I am a father. (2)

 投稿者:batu  投稿日:2005年 7月 5日(火)21時42分53秒
  (3) 星の指輪

「子供達 お袋にあずけて 出かけよう 今夜」

オールタイムベストを集計すれば、No.1になるであろう「星の指輪」。
女性層に人気が高く、主人公に浜田を重ね合わせるファンも多い。
「I am a father」の子供に対し、妻への想いが綴られる。

だが、この男は浜田ではない。視線の先に、終わりが無いからだ。
しかし虚構であればこそ、描く対象との適切な距離感を確保しつつ
プロフェッショナルな書き方に徹する事が出来たはずだ。


(4) LOVE HAS NO PRIDE

「彼女が目のまわり腫らし 奴に殴られたアザを化粧で隠し」

浜田が、社会的な問題意識を裏テーマとして持たせるのは
今回の「I am a father」が初めてではない。
近作では「LOVE HAS NO PRIDE」がDVを取り上げている。

ただしこちらは、意欲作だが、必ずしも成功とは言えない。
副題の「この街の男は女のことで悩みすぎてる」も判りにくい。
表側の焦点がぼやけ、表裏一体の訴求力に欠けると思うのだ。
 

浜田省吾 I am a father. (1)

 投稿者:batu  投稿日:2005年 7月 5日(火)00時47分5秒
  (1) ポジティブ

「疲れたどり着いた家 窓の明かり まるでダイヤモンド」

これは家族を持つ男性の歌だ。
妻や子供達のために、孤軍奮闘する姿や心情が
ストレートな言葉で描かれる。

宝石にさえ喩えられる、家族の主役は子供たちだ。
守るべき、だが逆に、自分の心を支えてくれる存在。
彼らのために、決意を新たにする主人公。


(2) ネガティブ

「妻と今日一日を 無事に過ごせたことを祈ってる」

毎日のように伝えられる、事件。
時に子供達は、被害者であり、加害者である。
自分の子供を心配し、不安を抱く彼と妻。

「命がけで守る」という力強い言葉とは裏腹に、
無事だった1日に、彼は妻と共に感謝の祈りを捧げる。
所詮為す術はないのだ。無力な個人。
 

信じられません

 投稿者:batu君  投稿日:2004年12月 7日(火)21時13分28秒
 
なんでいつも、STEP BY STEP には書き込み有るのに、うなぎ犬には無いの?

というか、うなぎ犬には無いのに STEP BY STEP には、有るの?

 

休憩中

 投稿者:batu  投稿日:2004年 9月16日(木)01時09分48秒
 
まだ、続くよ

 

THE SUN (5)

 投稿者:batu  投稿日:2004年 9月10日(金)02時30分13秒
 
ディックの小説の場合、物語の終盤に介入者が現れることが多い。
登場人物たちの陥っている、悪夢の永久運動を断ち切り
彼らをそこから救い出すんだ。
物語の外部に居る、という意味では「超越者」と言えるかもしれないね。
でも多くの場合それは、威厳があってパワーを誇示する、一神教的な顕れではなく
(良い意味で)とても常識的な判断力を持つ、とてもフレンドリーな存在なんだ。

ところで、先に引用した「FRUITS」の「フルーツ -夏が来るまでには」なんだけど。
この、アルバムの最後に位置する曲は、とても異質だ。
全体の流れからして、クライマックス後にこの曲が配置されたアルバム構成は
まるでエンディング・ロールが流れ終わったあとに、まだ続く映画のようだ。
違和感を感じるのは、それだけじゃない。
このアルバムでただ1曲だけ、ポエトリー・リーディングの体裁を持つところも
そしてもちろん、歌詞の内容も。
少なくとも「僕」じゃない、この語り手は、いったい誰だろう。
誰が誰に対して、何を言おうとしているのだろう?

僕は今回「FRUITS」とディック作品との、不思議な符号に気が付いて
初めて、その意味を理解した。
つまりこれは、この語り手は、「僕」にこの経験を与えた外部の者なんだ。
彼が語り始めることで、ハッピーな物語の「外部」が明示され
僕たちリスナーは、この作品の仕掛けを知ることになる。

 

THE SUN (4)

 投稿者:batu  投稿日:2004年 9月 7日(火)22時53分53秒
 
さて。
「幸せを巡る冒険」と書いた。「純度の高い幸福感」と書いた。
じゃぁこれは、楽園的なアルバムなの?癒しの音楽なの?
残念ながら、そして予想通り、その答えは NO だ。
ディックの迷宮の反転した世界は、もう1回反転させれば同じ形になるんだよ。

いくつもの世界を遍歴する物語。
たとえば、銀河鉄道や神曲などの例をあげるまでもなく、
その時の主人公はとても「死」に近付いているように見える。
この「FRUITS」も、そうさ。
たとえ、1曲ごとが強い言葉とメロディーを保持しているとしても
アルバム全体が持つ、2層構造から逃れることは出来ないんだ。
この「生」と「死」が同時に流れている2層構造の世界観を、
もっと即物的に、もっとパルプフィクション的に戯画化すると、
ディックの最高傑作「ユービック」の、半死半生をさまよう不活性者になる。

「FRUITS」と「ユービック」、このポジとネガ2つの物語。
重ね合わせた輪郭は、何と似ていることだろう!

「ユービック」の冒頭に掲げられている言葉。

  陽を浴びた森が見える。
  完全無欠な緑の森。
  もうすぐわれわれはそこへ、
  みんなが夏と逢うために

そして「FRUITS」の「フルーツ -夏が来るまでには」の一節。

  いつか僕が死ぬとき
  きれいな声が聞こえたらいいな
  僕らはもっと幸せになれるはず
  僕らはもっと陽気になれるはず

 

THE SUN (3)

 投稿者:batu  投稿日:2004年 9月 4日(土)02時03分48秒
 
ここで佐野元春は、「僕」にひとつの経験を与えている。
それをもし敢えて一言で表すなら、幸せを巡る冒険、と言えるだろうか。
フィリップ=ディックの小説の登場人物たちを、思い出してみよう。
無限に続くバッドトリップの連鎖。抜け道のない迷路をさまよう人々。
それに対し「僕」のトリップは、まるでポジネガを反転させたかのように
ハイパーで純度の高い幸福感に満たされている。

言葉と両輪をなすサウンドも、不思議な響き方をする。
夾雑物を除いたデジタルな透明感は、近未来的な天国を想起させる。
そしてポップミュージックのメロディーと、サイケデリックな色彩感のミックス。
だが実は、ここにこそ、この作品の困難が存在するのだ。
佐野元春はこのアルバムを、ポップミュージックとして成り立たせることに
おそらく最大の労力を払っているように見える。
そしてそれは、かなり高いレベルで成功していると言えるのではないか?
かつての(熱心なリスナーであるはずの)僕が、本当の姿を見誤ったぐらいに。
きっと今でもたくさん居るはずだ。
口当たりの良さに騙されて、さらっと聞き流してしまうか、もしくは
それにしては泥臭さの少ないスマートさに、ヒットチャート的視点から
「中途半端」という評価を下して済ましてしまうファンの人たちが。

 

THE SUN (2)

 投稿者:batu  投稿日:2004年 9月 3日(金)04時20分3秒
 
僕は今回の新譜と同時に、昔の作品も引っ張り出して聴いてみた。
ある作品に、ショックを受けた。
つまらないと思ってた。
無難な路線を歩んでいると思ってた。
1996年リリースのアルバム「FRUITS」。全17曲の、ポップ・ミュージックたち。
まさか、こんなに狂ってるアルバムだったなんて!

カラフルなジャケット写真のブックレットをめくってみよう。
そこに書かれた「僕の庭ではじまる」の言葉と、CDから流れる鳥のさえずり。
最後「僕の庭で終わる」の言葉、そして再び音楽は鳥の鳴き声で締められる。
昔は、「僕の庭へようこそ」というアットホームな招待状だと思ってた。
でも違うんだ。今は、はっきりと解る。
これは間に挟まれたハッピーな曲たちが、幻であることの宣言なんだ。
ふと目覚めると最初と同じ「庭」に居る。
すべては「僕」が見た白日夢。本当のことじゃなかった。

 

THE SUN (1)

 投稿者:batu  投稿日:2004年 9月 2日(木)00時11分0秒
 
僕はなぜ、佐野元春の最新アルバム「THE SUN」の感想文を、すぐ書けないのか?
という言い訳を、してみようと思う。(ややこしいなぁ)

でも理由は、いたって簡単なんだ。
流行音楽って空気に触れさせなきゃいけないんだ。
だって時と場合によって、聞こえ方がまるで変わってしまうから。

ドライブの時、同じ曲を昼間と夕暮れ時に、2度聞いてごらん。
闇が濃くなるにつれ、音がだんだん艶っぽく響いてくるだろ?
そして信号待ちの時、そっと助手席を見てごらん。
曲にあわせて小さな声で口ずさんでいる、彼女の唇が
何故かとても、なまめかしく感じないか?
昼間あんなに、まるで子供みたいに、はしゃいでたってのにさ。

環境だけじゃない、それに加えて僕がどんな音を聞きたがってるか?
体が、必要な栄養を求めるように、
耳が、聞きたい音しか聞かないんだ。
これについては、ちょっと言っておきたいことがある。

 

2004

 投稿者:ARES  投稿日:2004年 4月28日(水)18時18分11秒
  記憶というものは曖昧で一番信用できないものと言っても良いかもしれない。
自分の性格は昔から変わっていないと言い張っていても、当時の文章を読むと違いを認識させられる。

変わらない思いというのも確かに在る。

個人サイトを作ろうと5年くらい思って未だに作れていないのは駄目な例。
 

やり方を変える

 投稿者:かな  投稿日:2004年 4月15日(木)05時34分35秒
  人は不思議だけど自分のやり方にこだわっている
うまくいかないことを薄々気付きながら・・・

やり方なんて変えればいい

主体性や一貫性がないと他人に言われるかもしれないけれど変えればいい 

自分が考えていることが自分と思っているから変えるのが恐いんだ
一歩外へ踏み出そう
そこには違った自分が居たりする
ただ踏み出す時間がないのを言い訳にしたりもする
その時間を創れなければそこに止まるしかないだろう

止まることに安心した時

果てしなく自分を遠く感じるだろう

ただ遠くにの自分に会うことだってできるはず


つい最近私が友人に思ったこと。
 

お、

 投稿者:batu  投稿日:2004年 4月 8日(木)07時10分50秒
  今度は無事来ることができましたね(^^
めでたし、めでたし

書き込みありがとうです。
ちなみに「うなぎ犬」の方が、雑談用の掲示板になっていますので
次からはそっちがいいかな?
STEP BY STEP は、どちらかというと、残しておきたい文章用だったりするので。


あ、そうだ。

>ここを見ているかもしれない、あの辺の方々へ
kanaさんとかなさんは別人ですよ。
かなさんは、僕の個人的な知り合いです。
一応念のため。笑
 

あらら・・・

 投稿者:かな  投稿日:2004年 4月 8日(木)03時33分12秒
  もしかしたら書き込み残ってしまったかな?
変なボタンを押してしまったので・・・投稿されているのかどうか?
でも足跡を今日は残しに来たので。良い写真でした。
またお邪魔します。
 

2003

 投稿者:ARES  投稿日:2003年 8月23日(土)02時53分20秒
  掲示板巡回ソフトやWebサイトバックアップソフト、前はたまに使っていた。
残しておきたいと感じる文章がなくなったのか、残しておきたいと思わなくなったのか。

何も考えない遊びよりは、頭を使う遊びをしたい。

最も不確かな過去の記憶から未来の行動が定まる。

振り返るなと言われると振り返りたくなる。振り返れと言われると、やっぱり振り返りたくなる。

朱に交わって赤くなるよりは、朱に交わって朱を赤に染めたい。

適当に思いついたことをつらつらと書いてみると、後で後悔する。
考えた末に書いてみると、もっと後悔する。
 

2003.03.16

 投稿者:batu  投稿日:2003年 3月16日(日)04時06分57秒
  一部、削除しました。

特に深い意味はありません。
自分の書き込みの中で、力不足だったり、短い文章では伝えきれていないと
思われるものを、整理しただけです。


http://batu.cside1.com/
 

練習問題の引用

 投稿者:ARES  投稿日:2002年 9月13日(金)23時37分41秒
  ・「思う」と「考える」の違い。
・「うれしい」と「よろこばしい」の違い。
・「明白な」「明確な」「鮮明な」「明晰な」の違い。

つい先ほどbyとnearの違いを再認識した痕。
 

 投稿者:batu  投稿日:2002年 5月26日(日)21時45分21秒
 

あそこの巨大掲示板に初めて書き込みした。
なんかすげーどきどきしちゃったよ。


423 :開かないポンキッキ :02/05/23 00:53 ID:ulIxhWBP

「売れない=失敗作」?つーか、そもそも「失敗」って何?
てめーが先に言えよって、つっこまれそうなので
とりあえず僕は「後藤にとって良くない」曲を「失敗」と言ってみる。

CDの出荷枚数は、大きな指標だよね。
じゃあ、売れない=失敗=淘汰?。
でも今の後藤の人気なら、絶対「次」はあるでしょ?ダイジョブさ
で、短期的な「売り上げ」という評価軸ではマイナス点かもしれないけど
別の中・長期的な視点を加えると、総合点ではプラスになると思う。

1)従来にないタイプの曲は、「歌手」にとって成長へのきっかけ。
  新しいスタイルを模索する事で、表現力とかって磨かれると思う。

2)従来にないタイプの曲は、新しい客層を開拓する。
  実際後藤に興味のなかった僕が、このCDは買った。
  この曲には、後藤に興味のなかった人たちを振り向かせるような
  力がある。と、僕は主観的に思ってる(^^

あー。もちろんこの曲の弱いところもいっぱいあると思うよ。
「歌のおねえさん」風味(子供付き)に、ギョヘッ!とか
後半の歌詞は練れてないよなー、クサっ!とか。

でも、いつか後藤が、スタイリッシュで素敵なバラードの歌い手になるための
修行・戦略の1ステップとして考えたら、今度の曲も「あり」じゃない?

だけどこの曲、ホントに売れてないの?
僕には結構売れてるように見えるけど

 

メモ

 投稿者:ARES  投稿日:2001年 8月 8日(水)01時26分5秒
  Conditioned Stimulus→Unconditioned Stimulus→Unconditioned Response

Conditioned Stimulus→Conditioned Response

刺激が強いほど高くなる。
刺激がなくなればそれは消去される。
ただ、放っておいても自発的回復が成されてしまう。

治療方法、負の条件付けが効果的である。
 

見るとか見えるとか

 投稿者:ROOT BEER  投稿日:2001年 6月 4日(月)06時20分55秒
  「あなたは彫刻家なのに、わたしの身体の変化に気づかなかった」

フランス映画、「カミーユ・クローデル」(1988)でのワンシーン。
ストーリーは、彫刻家ロダンの弟子で愛人でもあった実在の女性の物語。
二人の関係が冷え切ったときにカミーユが妊娠するが、
その身体の変化にロダンは長いこと気づかなかった。
そのことを責めた一言。
恋人として、同業者として二重に責めたんですね。
とても重い一言です。

いつも見ているものを誤解して見ていたり、
十分知っていると思いこんでしまったり、
興味を失ったものは、見えていても見ていなかったり。

天才ロダンですらも見落としたりするんですねー。


だから、凡人が見落とすのは実によくあることなはずで、
たとえば、いつも笑ってるイメージの人(しかも身内)の写真を
訳あって穴のあくほど見ていたらじつは悲しげな眼だった、
なんてことに気づいてひどく驚愕することも
あったりなかったりするわけです。
 

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